戦国時代の武将、稲葉右近方通の居城跡。
町民の憩いの場として親しまれています。
和知城は、戦国時代の武将で美濃三人衆と称された稲葉良通(一鉄)の子で、豊臣秀吉に使えた稲葉方通によって1590年頃に築かれた。現存するのは空堀、井戸、曲輪、土塁のみ。ただし、本丸と二の丸を隔てる空堀は巨大で、城址の見どころともいえる。和知城は築城主の名より稲葉城とも呼ばれ、現在城址周辺は稲葉城公園として整備。復元された薬医門を通って入る公園内には城址碑のほか、櫓もしくは天守を模したと思われる稲葉家家紋付き展望台もあり、眼下に木曽川が望める。