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お比丘尼さま

地元ではここを「お比丘尼さま」と呼んでいる。


 比丘尼とは尼僧のことである。

 この地に発祥となる尼寺・不二庵があった。
 不二庵の年次は明らかではないが、八百津町史によれば室町時代初期の土岐頼益が守護であった頃、土岐氏のむすめであったと伝えられる如幻尊者が当時細目城に住し、仏道に精進してついに細目城を仏寺として不二庵を開基したとある。一方、大仙寺史においては古田彦右衛門信正の娘と推察される如幻尼という尼僧が不二庵に居庵しており開基したとされている。
 如幻尼は強い信仰に導かれ、不二庵の片隅で生きながら穴に入り、竹筒を地上に出して、わずかな水のみで経を唱えつつ仏(即身仏)となったといわれている。こうした業を入定というが、この場所に信者たちが如幻尼を偲び椋の木を植え、ここを不二塚と称したと伝わる。

 以来、樹齢五~六〇〇年と推定される大木となったが、残念ながら平成一〇年頃に枯れてしまった。


 不二庵は文亀元年(一五〇一)に東陽英朝禅師が大仙寺(古大仙寺)として改め開山した。当時の古大仙寺はこの周辺に東西四五間(約80m)南北六〇間(約110m)総勢十人ほどの小庵であったと記され、今も地名の残る「大門」には四日市場というの記録もある。
 その後、江戸時代の一七世紀半ばに和知城主・稲葉方通が第八世愚堂東寔禅師を奉じて古大仙寺を現在の場所(ここから北に約800m)へ遷している。    

(参考文献 八百津町史・美濃 大仙寺史・美濃大仙寺史 続)

平成十年ごろに枯れてしまった椋の木は高さが約3mほどあり倒木の恐れもあることから令和3年に危険の無い高さに切断し周辺も整備されました。これには「令和3年度八百津町協働のまちづくり事業」の補助金が使われています。

 

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