霊光山明鏡寺は、臨済宗妙心寺派。開創は頑石曇生(がんせき どんしょう)、開山を玉堂曇球(ぎょくどう とんきゅう)としています。観音堂は貞治7年(1368)に建立したものと伝えられています。木造で縦横5.4メートル、西向きの建物で、禅宗建築(唐様)がめずらしく、華頭窓(かとうそう)の形も室町中期の特色あるもので、美しい曲線を見せています。細部意匠にもすぐれており、貴重な遺構であることから、国の重要文化財に指定されています。
明鏡寺概要: 明鏡寺明鏡寺の創建は文和2年(1353)、鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の冥福を祈る為、頑石曇生(建長寺14世)が開基となり玉堂曇球が開山したのが始まりと伝えられています。当初は臨済宗建長寺派でしたが慶長10年(1605)に現在の妙心寺派に改め、寛永年間(1624~44)に宝鑑国師が中興しました。現在の観音堂は室町時代後期に建立されたもので、方3間、寄棟造、一重、茅葺、組物や彫刻、工法など当時の寺院建築の特徴を伝える貴重なものとして国指定重要文化財に指定されています。
明鏡寺の文化財
・ 明鏡寺観音堂-室町時代後期-国指定重要文化財
・ 木造聖観世音菩薩立像-貞治7年-岐阜県指定重要文化財
・ 十六善神図-室町時代-八百津町指定文化財